「ウクライナ危機」に形骸化した“平和主義”で対処しようとする護憲派リベラルの自爆行為【仲正昌樹】
鳩山氏の一連の発言以上に、形骸化した平和主義の象徴のように思えるのが、テレビ朝日のモーニングショーのコメンテーターの玉川徹の「ウクライナが引く以外にない」発言と、共産党の田村智子議員の防弾チョッキをウクライナ側に提供するのは、武器輸出三原則に反する、という発言だ。
田村氏の発言は、武器輸出三原則を守ることが、世界平和に貢献する正しい道だという信念に発しているのだろうが、だとしても、それは本来、ミサイル、戦闘機、戦車のような攻撃的な兵器の話だろう。防弾チョッキのように、身を守るための道具で、非戦闘員も必要とするようなものを、定義上、「武器」に入るから反対するというのは、あまりにも杓子定規だ。ウクライナは戦闘を強いられている被害者の立場だが、被害者に身を守る武器を提供してもダメなのだろうか。
九条護憲派は、これまで、他国から戦争をしかけられたらどうするのか、という問いに対し、そのような問いを設定するのは、改憲派の罠であり、答えることはできない、中国などが日本を攻めることは現実には考えられない、と言ってきた。ウクライナは現に、一方的に侵略を受けている。田村議員は、ウクライナの人たちに対しても、戦争に手を貸さないことが平和を実現する正しい道である、あなたたちの政府の間違ったやり方に加担することはない、だから私たち日本人は、あなたたちに防弾チョッキなどの、広義の武器も援助すべきではない、と堂々言うつもりだろうか。
玉川氏の発言は、絶対的平和主義というより、たとえ自分たちにとって受け入れがたい体制であっても、降伏して命を守る方が大事だ、という生命第一主義の発想に基づいているのかもしれない。冷戦時代にポピュラーになった、〈Better red than dead〉というフレーズと同じ発想である。無論、選挙などの平和な手段によって体制転換が行われるのであれば、こういう考え方もありだろうが、相手が現に武力で〈red〉――今回の場合は、ロシア至上主義のロシア政府による支配――を強制しようとしている状況では、場違いだろう。たとえ降伏しても、逆らえば、いつ殺されるか分からないからである。
生き残ることを最優先すれば、支配者に絶対服従し続けなければならない。それが人間らしい生き方だろうか。一度、ウクライナの人たちが武力による支配を受け入れたら、今度はウクライナ人が、バルト三国やジョージア、モルドバ、ポーランドなどに対する軍事侵略に加担させられることになるかもしれない。ロシアが暴力によって無敵状態になれば、“平和”は実現するかもしれないが、暴力を背景とした“平和”が、平和主義者の求める「平和」の一形態だろうか。自分自身がそういう生き方を選ぶのは勝手だが、それを世界平和実現のための大前提として他人に押し付けるのは、傲慢である。